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14本ルールは1939年に出来た
ゴルフクラブは1人14本までの使用が認められています。
14本を超えるクラブを使用すると、ルール違反となり競技会では失格となります。
イギリス発祥で古い歴史を持つゴルフですが、このゴルフクラブが14本までの制限が設けられたのは、意外にも最近になります。
ルールが定められたのは1939年になります。
世界初のゴルフ選手権大会でもある全英オープンが初めて開催されたのは1860年です。
つまり、全英オープンが初めて開催されたころには、クラブの使用に関して本数制限は設けられていなかったというわけです。
ゴルフクラブの使用本数に制限が設けられ原因の説は、3説があります。
ゴルフクラブの本数が14本までになった3つの説
諸説①:1859年の全英アマ
最も古い諸説です。
世界初のゴルフ選手権大会の全英オープンが初めて開催される1年前の1859年、全英アマチュアゴルフ選手権に出場したジラードという選手にまつわる話です。
ジラード選手はなんと55本のゴルフクラブを持参してきたそうです。
当然ゴルフバッグに収まるはずがなく、リアカーに積んでいたそうです。
しかも、リアカー2台!!
当時の記録が詳しく残っているわけではありませんが、自分がリアカーを一つ引いて、キャディーがもう一つのリアカーを引いていたのでしょうか。
どちらにせよ、スピーディーに移動できるわけがありません。
何より、55本のクラブから使用したいクラブを見つけ出すことがかなり難しいです。
当時のクラブは今のような派手目な色合いをしていなかったでしょうし、番号すらふられていないものもあったかもしれません。
そんなリアカーの55本のクラブを使用するラウンドに付き合わされたキャディーは、全英ゴルフ協会にクラブの使用本数について直訴したそうです。
諸説②:1936年米英女子アマチーム対抗戦
ゴルフクラブ14本ルールが規定される3年前の1936年、全米ゴルフ協会と全英ゴルフ協会の共催で開催される米英女子アマチーム対抗戦での出来事です。
1936年、この年は開催場所がスコットランドでした。
そのスコットランドで米英女子アマチーム対抗戦に出場したアメリカ人女性ゴルファーは、とても大きなゴルフバッグを持参し、その中に23本のゴルフクラブを入れていました。
彼女はインタビューで「ええ、私23本のクラブをキャディーに持たせたわ。だって私、このすべてのクラブが必要だったのよ。」とコメントしたそうです。
当然、大会関係者やゴルフ協会では疑問視される声が上がります。
スロープレーを撲滅するためにも、クラブの使用本数に制限を付けるべきだと議論されるようになりました。
諸説③:1934年1935年に全英&全米アマを連続制覇したローソン・リトル
諸説の中では、最もキャリアを残したゴルファー説かもしれません。
1940年の全米オープンの優勝者でもある、アメリカ人男性プロゴルファーのローソン・リトルについての説です。
全米オープンを優勝した時には、既にクラブ本数制限のルールがあったため、この時点では違反とはなりません。
彼の場合は、1934年と1935年に全英&全米アマを連続制覇した時のことです。
1934年と1935年、ローソン・リトル選手を担当したキャディーが「ゴルフバッグが重すぎる」とクレームを上げています。
彼はバッグに31本ものクラブを入れていたのです。
このローソン・リトル選手の件と、諸説②の女性ゴルファーの件、この2件はゴルフクラブ14本ルールが出来た1939年の数年前に当たる事例なので、ルール規定に大きく関係したと推測されます。
ゴルフクラブが14本になったわけ
このような重すぎるゴルフバッグ、クラブ選択に要する時間、これらはスロープレーを引き起こすとされ、1939年にゴルフクラブ14本ルールが制定されます。
ゴルフクラブの本数を制限するとなったときに、初めに上がった案は1ダース(12本)のゴルフクラブに1本のパターで合計13本という案だったそうです。
しかし、欧米では「13」という数字は不吉とされます。
そのため、もう1本追加して合計14本のゴルフクラブを使用することになったそうです。
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